2012年6月10日日曜日

ブログへの書評(レビュー)の書き方 | Nanapi [ナナピ]


「ブログに書評を書く大切さは分かった。でも書き方が分からない!」という方はこちらの記事を参考にしてみてください。

ブログに書評をうまく書くコツ、NGなことをご紹介いたします。

書評の書き方:まずは基本

ポジティブに書こう

無理をする必要はありませんが、できるだけ本の良い部分を書きましょう。作品に対して批判ばかりしている人は、ブログを読んでくれる人も不快になってしまいます。そのためには本を「何かは自分の役に立てよう」と意識して読むことも大切です。

「ネガティブ」と「作者と逆の意見を書く」は別物なので注意。無意味な批判でなく、自分の意志があった上での逆の意見ならそれも書評のうち!

長すぎず、できるだけ完結にまとめる

本を買う前に書評を参考にするという人は、長文を読まずにその本が良いのか悪いのか、自分に合うのか合わないのかを判断したがっています。よって、その書評がものすごく長いと意味がありません。できるだけ完結に、まとめて書くように心がけましょう。

本の詳細が載っているページのリンクを貼る

2012年6月4日月曜日

Seasons: アート・文化



Brassaï
はパリの写真家
"Brassaï"というのはあだ名で
"from Brasso."という意味
本名は
Gyula Halász
現在はルーマニア領になっているトランシルバニア生まれ
父親はソルボンヌの文学教授。

「夜のパリ」という1933年に出版した写真集が出世作。



     Brassaiのこんな写真を飾っている店がうちの近所に

Brassaï について詳しく知りたい方は以下をご覧ください。
From Wikipedia, the free encyclopedia

Brassaï was the pseudonym of Gyula Halász (1899-1984), a Parisian photographer.


(北カウチンのどのスポーツを行う持ち運びにくいプレイ?)

Gyula Halász was born on September 9, 1899, in Brassó (Braşov), in SE Transylvania - which today belongs to Romania but was then part of Hungary. At age three, his family moved to live in Paris, France for a year while his father, a Professor of Literature, taught at the Sorbonne. As a young man, Gyula Halász studied painting and sculpture at the Academy of Fine Arts in Budapest before joining a cavalry regiment of the Austro-Hungarian army, serving until the end of the First World War. In 1920 Halász went to Berlin where he worked as a journalist and studied at the Berlin-Charlottenburg Academy of Fine Arts.

2012年6月1日金曜日

攻撃行動とは何か?|理系のコミュニケーション能力向上のために森からおりてきたくまさん


こんにちは。

くまさんです。

うっかり風邪をひいてしまいました。

おなかが痛くなったり、咳や鼻水が出るし。

一通り風邪の諸症状をこなしてしまいました。

今日のテーマは「攻撃行動とは何か?」です。

最近、人を殴ったことがあるだろうか?

そんなことはない人が多いと思う。

では、人の悪口を言ったことは?

ない」と答えながらもよく思い出してみると、友だちや先輩を批判した。

そこにいない人の悪口を言ったりしたことも一度ぐらいはあるはずだ。

攻撃行動というと「殴る」「蹴る」など身体的暴力を連想するので、

自分には身近でないように思えるかもしれないが、

悪口となるとかなり身近に感じられるだろ� �。

実は、悪口もれっきとした攻撃行動でなのだ。

バスという人は、攻撃的行動を三つの次元の組み合わせから8つのタイプに分類している。

次の表はその八つの攻撃型の具体的な例である。

2012年5月31日木曜日

ウイスコンシン州


マニトワックManitowoc)は、アメリカ合衆国ウィスコンシン州東部、ミシガン湖岸に位置する都市。グリーンベイの南東約65km、ミルウォーキーの北約135kmに位置する。人口は33,736人(2010年国勢調査)。マニトワック郡1郡からなる小都市圏は81,442人(2010年国勢調査)の人口を抱えている[3]

マニトワックは「ウィスコンシンの海事の都」と呼ばれ、造船業が栄えてきた。1902年にマニトワックで創業し、マニトワックをその企業城下町としてきたマニトワック造船は、第二次世界大戦中には軍用の潜水艦を多数建造した。1968年に造船所が閉鎖された後も、同社は現在のマニトワック・カンパニーという社名で、建設機械および飲食産業用機器の製造会社として存続し、世界26ヶ国で事業を展開する会社となった。現在では、マニトワックにはウィスコンシン海事博物館が置かれ、第二次世界大戦で戦功を上げた潜水艦、コビアが記念艦として係留されている。

歴史

今日のマニトワックがあるこの地には、ヨーロッパ人の入植以前にはオタワ族、メノミニー族、ウィネベーゴ族、ポタワトミ族のネイティブ・アメリカンが混住していた[4]。マニトワックという今日の地名の由来は、オタワ族が話していたアニシナーベ語で「魂の産卵」を意味するmanitowag、もしくは「魂の木々」を意味するmun-nih-do-walkが転訛し、「魂の住処」を意味するものであった考えられている[5]

1795年、北西会社がこの地に毛皮交易所を設置すると、この地にはボヘミア系、フランス系、ドイツ系、アイルランド系、ノルウェー系、ポーランド系などが移入した[2]。しかし、この地に恒久的な入植地が創設されたのはその41年後、1836年のことであった。このとき、この地にはマニトワックのほか、マニトワックラピッズ、トゥー・リバーズ、ネショトと、4つの村が同時に創設された[6]。1839年にはマニトワック郡政府が創設され、翌1840年にはマニトワックに最初の郡庁舎が置かれた[2]。その後、1851年3月6日にマニトワックは村として正式に法人化され、1870年3月12日に市制を施行した[7]

マニトワックはその初期から、シボイガンと並んで港を築くのに良い場所であると考えられていた。しかし資金難もあり、最初の埠頭が築かれたのは1854年で、その時点で既に州南部のミルウォーキーやケノーシャに遅れを取っていた。その後も1900年代初頭に至るまでほぼ毎年、数万ドル単位の費用を投じて港の拡張が行われた[8]

マニトワック港がまだ計画段階にあった1847年、ジョセフ・エドワーズはマニトワックで最初のスクーナーとなったシチズン号を建造した。その次の船が建造されたのはその5年後であったが、これがマニトワックにおける造船業の起こりであったと考えられている。19世紀後半には、マニトワックでは蒸気船が建造され、グリーンベイやミルウォーキー、シカゴなどへ蒸気船の定期便が就航した[9]。1902年にマニトワック造船が創業すると、マニトワックはその企業城下町として発展した。第二次世界大戦中には、マニトワック造船はそれまで建造経験のなかった軍用の潜水艦を多数建造してその事業を拡大すると共に、マニトワックの地域経済を潤した[10]

地理

マニトワックは北緯44度5分47秒西経87度40分30秒に位置している。シボイガンからは北へ約50km、グリーンベイからは南東へ約65km、ミルウォーキーからは北へ約135kmに位置する。市の東にはミシガン湖が広がり、マニトワック川がミシガン湖に注ぐ河口にはマニトワック港が築かれ、ダウンタウンは河口付近の両岸に形成されている。市中心部の標高は185mである。

アメリカ合衆国国勢調査局によると、マニトワック市は総面積44.5km²(17.2mi²)である。そのうち43.7km²(16.9mi²)が陸地で0.8km²(0.3mi²)が水域である。総面積の1.86%が水域となっている。

2012年5月18日金曜日

日本の英語教育は何故だめか


日本の英語教育は何故だめか

日本の英語教育は何故だめか?

浜口 登

 

第1節         

最初にお断りしておきたい。私は英語の教師ではない。大学では経済学と統計学を教えている。門外漢の私がこのような論文を書く理由は次のようなものである。第1に、私自身がアメリカに7年近く留学し、最近2年間在外研究で再びアメリカで過ごした経験がある。第2に、留学に先立って2年間ほど英語の特訓をやった。第3に、中学から大学まで英語教育を受けた。このような経験から、私は、日本における英語教育には根本的かつ深刻な問題点がある、と考えるようになった。日本人の英語能力が世界的に見て極めて低いことはよく知られている。たとえば、日本人のTOEFL (Test of English as a Foreign Language)の点数は世界中で最も低くグループに属し、下から数えた方が早い。

 実をいうと、1991年の3月から10ヶ月にわたって、English Expressという英語教育の雑誌に「学校英語は役に立つか?」というエッセイを連載したことがある。それから、10年以上が経過し、改めて私の考えを表現したいと考えたのである。

私は、経済学者である。そのことが、私の価値観に強い影響を与えていることは間違いない。ところが、経済学というのは、いろいろな意味で微妙な立場にある。経済学は社会科学の中で最も体系的で標準化されており、自然科学に近い。自然科学系の学問だと役に立つことがかなりはっきりと目に見える形で分かることが多い。しかし、経済学は他の社会科学や人文科学と比べるとはるかに役に立ちそうに見えるものの、本当に役立つかは、必ずしも明確でない。そこで、経済学者は、自然科学者に対し一種の劣等感を持つと同時に、人文科学者に対し、優越感を持つ傾向がある。人文科学者は、「そもそも学問が役に立つなどというのは幻想に過ぎない」と開き直り、役に立っているような態度をとる経済学者に反感を持つ傾向がある� ��うに思える。そのような開き直りのため、人文科学者の間では「反プラグマティズム」がはびこっているのではないだろうか。

 ついでにいえば、私は、米国に長くいたので、アメリカ的なものを無批判で受け入れる反面、日本的なものに対し、ほとんど異常なくらい反感を持つ傾向がある。本稿も、そのような私の価値観を色濃く反映しているはずだ。本来論文は出来るだけ客観的に書かれるべきだろう。しかし、いかなる価値観とも無縁な論文を書くことは誰にもできないはずだ。そこで、著者は、自分の価値観をできるだけ正直に表明すべきだと考える。

 本稿では、もっぱら英語について論じている。しかし、同じ議論が他の外国語(とりわけフランス語、ドイツ語、スペイン語)についてもそのまま当てはまるだろう。ただ、2つの点を指摘しておきたい。第1に、英語(特にアメリカ英語)の「覇権」が極めて強く、その傾向は現在ますます強まっている。したがって、英語を学ぶ価値は、その他の外国語を学ぶ価値よりはるかに高い。第2に、日本語と英語の違いと仏・独・スペイン語と英語の違いは本質的に違う。英・仏・独・スペイン語は、非常によく似ている。たとえば、情報に対応する英語は information だが、フランス語でも、(発音はかなり違うが)つづりは全く同じだ。つまり、日本人が英語を学ぶのと、フランス人が英語を学ぶのでは、根本的に異なる。詳細は本文で述べるが、日本人が英語を学ぶときは、日本語の世界と英語の世界は全く別なので、日本語の世界を抜け出て英語の世界に入る、という感覚で対処することが重要である。

 

第2節          何が問題なのか

この問いに答えるためには、何のために英語を学ぶのかを明確にする必要がある。私は、日本人が日本語を使えない人とコミュニケーションできるようにすることが、最重要課題だと思う。その理由は、このコミュニケーション能力自体が重要であるということだけではない。詳しくは以下で述べるが、まずコミュニケーションができなければ、何も始まらない、ということを指摘したい。このことを一応前提として、日本における英語教育の何が問題なのかを具体的に論じよう。

2.1 英語のできない英語の教師

まず、英語の教師が英語を実際に使えないことが決して珍しくないという実態がある。中学、高校、大学で英語を教えている人々の中には、アメリカ、イギリス、カナダ、オーストラリア等の英語国に行って、入国審査、ホテルでのチェックイン、レストランでの食事、店での買い物等々におけるごく日常的会話すら満足に出来ない人が少なくない。要するに、英語を使えない人が教えているから、習う学生の英語能力がさっぱり上がらないのは、ある意味で当然だろう。ここで「使えない」とは、言語の4つの能力、@読む、A書く、B話す、C聞く、のうち、出来るのはせいぜい@だけで、それ以外はネイティブ・スピカー(以下NSと略す)とまともに対応できないという意味である。

2.2 英文和訳・和文英訳の弊害

 第2に、英文和訳と和文英訳を重視しすぎている。極端に言えば、これら2つだけが目的で、他はどうでもよいと考えているのではないかとさえ思われる。しかし、これは最も深刻な誤りである。理由は次の通りである。

(1)英文を理解したかどうかを和文に訳せるか否かで判断するというのは根本的に誤っている。和訳するには、まず英文を英文としてよく理解したうえで、それに適切に対応する和文を考えねばならない。したがって、和訳というのは、英語の能力というよりは日本語の能力といっても過言ではない。何故かを説明するために実例を出そう。私は、ある人から「英語の本を和訳して出版したいのだけれど、訳をチェックして欲しい」と頼まれたことがある。訳文は間違っていない(つまり誤訳はない)のだが、日本語になっていないのである。この訳文を日本人が読んでも、おそらく全く分からないのではないかと思った。 

日本は「翻訳天国」で、少しでも売れそうな外国語の本が出版されるとすぐ訳本が出る。しかし、訳のなかには極めて読みにくいものが多い。そして、「翻訳天国」であること自体が、日本人の英語能力を低くしている。大学で、英語で書かれた原書をテキストにしたくても、訳本が出るので、学生に「訳ではなく、原著を読みなさい」と指示しても、誰もそれに従わない。教え子の1人が「同僚と一緒にアメリカに留学するので、数理統計学の勉強会を手伝っていただけませんか」と頼んできたことがある。そこで、私はアメリカ人が書いた原著をテキストに使うことを提案したら、何と和訳でやりたいというので、あきれた。ゼミの教材に日本人が英語で書いた論文を使ったら、学生全員が「日本人なのに何で英語で書くんだ。頭にくる」といったので、がっかりしたことがある。

(2)もし和訳できるほど英語が十分理解できるのなら、和訳は必要ない。もし、英文が理解できないのなら、和訳などできるわけがない。だから、和訳を英語教育の中心に据えるのは邪道である。通訳者を毎年何万にも世に送り出す必要はない。通訳の技能は通訳学校を作って少数の人に教えれば十分である。

 一方、和文英訳も英語能力向上にあまり役立たないどころか、むしろ有害とさえいえる。なぜなら、和文英訳を繰り返していると、まず日本語で作文し、それを英文に翻訳する癖がつくからである。これでは、実際に自分で自分の考え方を表現しようとしても間に合わない。

2012年5月17日木曜日

カウンセラーこういちろうの雑記帳: 歌謡曲


 浜崎あゆみさんの詞って、驚くぐらいに具体的なシチュエーションが出てこない。

  •  地名・・・ゼロ。それどころか「海」という言葉は出てきても、「山」「川」はひとつもない。
  •  人名・・・中島みゆきなら「♪真理子の部屋に、電話をかけて(「悪女」)」と出てくるくらいの、一般化した次元でもゼロ。
  •  学校時代をイメージさせる表現・・・・ゼロ。唯一の例外が、荒井由実の「卒業写真」をカバーしたケースだけであるという、驚くほどの徹底性。
  •  「僕」「君」「あなた」という人称を異様に多用する。「彼」「彼女」も例外的では?

 そして、そもそも「君」「あなた」が誰なのかが非常に曖昧で多義的で、どのようにでも受け取れ、再解釈できる

  • 生身の「濱崎歩」
  • アーティストとしての「浜崎あゆみ」

    (ベスト盤"A Ballads"の最後に収録された「卒業写真」のカバーそのものが、「街で見かけた」かつての自分のポスター等との対話というシチュエーションで理解してもらうことをayuははっきり狙っていたと思う。アルバムジャケットも、←こんなふうですからね)

  • 聴衆
  • 過去の、そして現在の同性の親友たち。
  • 父親
  • 過去の、そして現在の異性の知り合い(max松浦もそのひとりだけど、それだけ強調するのは明らかに偏った理解。最近はさすがにこのこじつけはいい意味で廃れましたけど)
  • 過去の恋人
  • 現在の恋人
  • 聴衆にとっての大事な人

 ・・・ちょっと年季が入ったayuファンなら、実は今私が箇条書きにした順序くらいでとりあえずいくつも当てはめていくのが無難であることに気がついているかと思う。

 "teddy bear"や"memorial address"の「あなた」がもっぱら父親のことを指す、"ever free"は亡くなった祖母のこと・・・などと、特定的に捉えていい・・・といったケースというのはむしろ例外的なのである。

 要するに、ayuの詞というのは、非常に純粋な形で、「外的」および「内的」な「二者関係」に無限に「投影」させ、「転移」させることに開かれ切っている。

 似たようなことは、他の歌手でもある程度は曲によって見られるが、ayuのように「首尾一貫した厳密な方法論」と言える域の人を、私は知らない。

 ayuは、本当にこの経験則だけで詞を書き続けていられる。裏を返すとayuのような詞を他人が「模作」しても容易にメッキが剥げる筈と断言できるくらいである。

*****

2012年5月14日月曜日

パラグラフライティングとトピックセンテンス | SEO 検索エンジン最適化


最終更新: 2011年08月08日 14:36

1つの段落(パラグラフ)では1つのトピックだけを扱い、段落を組み合わせていくことで論理展開していく文章作成法を「パラグラフライティング」といいます。またパラグラフ(段落)の主題を端的に表現した一文を「トピックセンテンス」といい、これらがSEOライティングの基礎的な要件です。

段落の組み合わせによる論理展開

トピックごとに段落を分割し、それらの段落を組み合わせて文書を書いていく手法を「パラグラフライティング」といいます。欧文ライティングの手法を輸入したものですが、日本語においても、新聞記事や操作マニュアルの文章などは、ほとんどの場合この手法に沿って書かれています。

HTMLは論理構造を表現する文書型であり、その論理構造は欧文ライティングのそれを踏襲しています。このため、欧文ライティングの基本形であるパラグラフライティングは、HTML文書との親和性が高く、また検索エンジンに文書の構造を適切に伝える場合にも適したライティング手法です。